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人気お笑いコンビ、爆笑問題が所属する芸能事務所タイタンの社長を務める太田光代さん。自身も雑誌モデルなどを経てタレントとして活躍していたが、結婚後、タレントを辞めて事務所社長に転身。今に至ってはハーブ専門店「ウィッチムーン」やフラワーショップ「a Flower of Grassアリエル」のオーナーという“顔”も持つ。そんな太田さんの人生グラフとは?
Photo:昭樹 Hair&Makeup:足立美和
親に頼らない自立心を高めた10代

 「子供の頃の夢は医者になることでした」と光代さん。物心ついた頃から病院の医師や看護士と、治療に取り組んで来たことを考えれば、至極自然な夢である。

 「11才の頃、医者になる夢をあきらめたんですね。それで、急降下ですよ(笑)。医者になるためには、勉強も大変だし、お金もかかるということを知って、現実的に無理だ、あきらめようと思って。そうしたら、すっかりやる気がなくなってしまって」

 勉強をする気がないから授業中、眠くなる。テストは一夜漬けで乗り切った。ギリギリのラインで進級し、高校にも進学するが・・・

 「15才の時に出会った10才年上の男性と高校を卒業したら結婚して、専業主婦になるつもりでいました。ところが、17才の夏休み前に、その人から急に別れ話を切り出されたんです。理由もわからず、納得もできなかった。夏休みは、ずっと部屋の中で布団かぶって、オフコース聴いて、引きこもってしまいました」

 この失恋による落ち込みは「-50」程度。しかし、その1ヶ月後には元カレの友達と付き合い始めることになる。新しい恋によって、「+10」まで回復。ところが・・・

 「元カレから、突然、ヨリを戻そうと言われたんですよ。自分の友達と私がつき合っていることを知ったみたいで、そういう話よくありますよね(笑)。でも、当時17才の私は、本当に混乱してしまって。それで、ズド〜ンと『-80』くらいまで。落ち込みました」

 失恋した時は部屋に引きこもった光代さんだったが、今度は・・・

 「貯金が70万円くらいあったので、それを持って旅に出たんです。お金がなくなるまでにどちらとつき合うか決ようと思って。2ヶ月間、長野のあちこちをまわりました。山に登ったり、美術館を巡ったり。見た目が大人っぽかったので、怪しまれることもなく、旅をしていました。結局、新しい彼とやり直そうと決めて、戻って来たんですが、学校が捜索願いを出していて、退学させられそうになっていました。夏休みはとっくに終わっていたんです」

 光代さんはその頃、親元を離れて一人暮らしをしていた。もちろん、両親からは「高校を卒業してからにしなさい」と反対されたが、光代さんが押し切った。だから、彼女が2ヶ月も旅行に出かけていても、両親はあまり心配していなかったそうだが、世間は、学校は違った。

 「今、振り返ってみれば、17才でしなくてもいい苦労をしたと思いますよ。何だったんでしょうね。でも、自立をしなくてはいけないと、これは戒めなんだと、自分で自分を追いつめたところはありましたね。まぁ、でもそれで生活することがどんなに大変か、気づいたんですよね。それで逞しくなれたっていうのは、あると思います」

26才で結婚。そして夫は“売れない芸人”になった

 高校を卒業して間もなく、街でスカウトされた光代さんは、モデルの仕事を始める。高校を卒業したら主婦になるつもりだったが、だんだん仕事が面白くなっていった。あるミスコンで、水着姿で特技の顔真似を披露したところ、大手の芸能事務所の目にとまった。その芸能事務所の同期に爆笑問題がいた。
 1988年ごろから太田光さんとの交際が始まり、1990年秋に結婚。タレント活動を続けることにした。専業主婦になる夢はどこかに置き忘れてしまったようだ。


 「結婚して、しばらくしたら、夫が勝手に事務所を辞めてしまったんです。辞めた理由や経緯は今でも納得できないところがあります。将来を期待されていた一押しのタレントでしたから。無理矢理に独立して、うまく行くほどこの世界は甘くない。仕事が激減して、一気に売れない芸人になってしまった。私のタレントのギャラだけでは生活していけないから、パチスロで食いつないだり、田中裕二とアルバイトで働いたこともありました。実は、コンビニで、田中が生き生きと働いているのを見て、危機感を覚えたんです。夫は放っておいてもいつか目覚めると信じていたけど、田中はこのままアルバイトで働き続けてしまうのではないかと。そうなったら、コンビ解消だ。爆笑問題はダメになると、急に焦りを感じました。それで、私がやるか・・・ということになったんです。書店で、『会社の作り方』といった類いの本をどっさり買い込んで勉強しながら、タイタンを立ち上げました。会社設立から5〜6年は必死でしたね」

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