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2007年12月、『M‐1グランプリ2007』王者に輝き、お笑い界の頂点に立ったサンドウィッチマン。この業界は、弱肉強食、誰かを立てれば誰かが立たず、テレビ局に使い捨てにされることだって珍しくない。大波小波をかぶりながらも “マイペース”に笑いの渦を巻き起こしてきたふたりに、コンビの人生グラフを語ってもらった。

Photo:昭樹

サンドウィッチマンの人生グラフ(縦軸:幸福度 横軸:年齢 幸福度 最小値0〜最大100)



ラインアップ
母校のラグビー部が存亡の危機!?
3年だけ東京で勝負してみよう
『エンタの神様』が微笑んでくれた
M‐1グランプリへの道のり
やりたいことに「遅すぎる」ということはない


母校のラグビー部が存亡の危機!?

 サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけしのコンビは、宮城県仙台市出身で、仙台商高ラグビー部の同級生。16歳で出会い、人生の半分以上を共に歩いてきた。

伊達  ラグビーに入部したら、富澤がいた。僕にとっては、友達の中の1人でしたよね。富澤はラグビー部にしか友達がいなかったけど、僕にはほかにもいたので(笑)。

富澤 学校内でも掃き溜めのような存在だったけど、部活は楽しかった。

伊達 とくに富澤と親しくなったのは、体形が似ていて、ポジションも近かったし、練習中も一緒にいることが多かったからかな〜。家も近かったしね。笑いのツボも一緒だったし。富澤と僕ばかり、先輩からもよくいじられていたんですよ。この3年間を共に過ごしたということなしに、コンビ結成はなかったと思いますよ。

富澤 ラグビーに打ち込むというよりは、体を鍛えながら、仲間を笑わせようと、面白いことばかり考えていた。メッチャ、楽しかったもんな。

伊達 もしかして、意外とあの頃が笑いのピークだったかもな。最近、ラグビー部仲間で集まった時も、腹抱えて笑って、相当、面白かった。僕らの仲間って、今でも面白い。そういうところが、運動部系、男子校のいいところだね。当時から一生の友達になるだろうという感覚はありましたね。

富澤 そんな我が母校のラグビー部が今、存亡の危機なんだよな〜。部員が1人しかいない。試合どころか、練習にもならない。むしろ、もう辞めたら?って、思うような状況だけど、ものすごく歴史のある高校なので、1人で伝統を守ってくれている。それは、母校だけの話でもないんですけどね。ラグビー部員が足りなくて、何校か集まって合同でチームを組んで、試合に出たりしているらしい。

伊達 今どきの親は、子供にケガをさせたくないって話でしょ。ラグビーにケガはつきものだからね。遊びでもできない、集中してやるスポーツ。最高なんですけどね。

富澤 僕らはラグビー部あっての人生だけどね。

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サンドウィッチマン

伊達みきお
だて・みきお
1974年9月5日生まれ、宮城県仙台市出身。ツッコミを担当。

富澤たけし
とみざわ・たけし
1974年4月30日生まれ、宮城県仙台市出身。サンドウィッチマンでボケとネタ作りを担当。2008年12月、初エッセー『ちょっと何書いてんのかわかんないです……!! 』(講談社)を刊行。

1998年コンビ結成、2002年M‐1グランプリに初出場し、1回戦敗退。03年、04年は2回戦敗退。05、06年は準決勝に進出。07年に初優勝を果たす。冠番組に『サンドのぼんやり〜ぬテレビ』(東北放送)。『エンタの神様』(日本テレビ系)、『笑っていいいいとも』(フジテレビ)、『アメトーク!』(テレビ朝日系)などに出演。

『ちょっと何書いてんのかわかんないです……!!』
富澤たけし(サンドウィッチマン)

発売日:2008年12月1日
定価:1,260円(税込)
発行:講談社




サンドウィッチマンのコンビ結成時からネタ作りを担当する富澤たけしのブログ『狼は生きろ 豚は死ね』を元に書籍化。テレビで見せる顔とは違う、頭の中を覗き見するような初エッセイ。

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