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幼い頃はボーイソプラノだったんです。信じられないでしょ(笑)。中学・高校と、バンドやりながら部活でバレーボールもやっていて、練習中の掛け声や応援でのどを潰してしまいましたね
「もっといいミュージシャンになりたい」 世良と音楽の出会いはどのようなものだったのだろうか。 「母や祖母に聞くとね、俺は赤ん坊の頃から歌、音楽に敏感に反応していたって言うんだよね。3才からバイオリンを習っていたし。別に、ハイソな家庭だったわけじゃなくて(笑)、たまたま、隣に住んでいるお兄ちゃんがバイオリンを習い始めて、俺も真似してやりたいと言ったらしい。高校2年生のころまで教室に通っていたかな」
世良は1955年生まれ。ザ・ビートルズが武道館で来日公演したのが1966年で、11才。その後、日本でもローリングストーンズやジミー・ヘンドリクスなど、洋楽が当たり前のように聴かれるようになっていた。 「ロックを意識しはじめたのは、中学生になってから。当時は、ラジオが音楽シーンの主導権を握っていた時代で、電リクの全盛期。リクエストに、ジャンルとか曲順なんて関係ないから、美空ひばりさんの『真赤な太陽』の次に、ローリングストーンズの曲が当たり前のようにかかったりするわけ。それを聴き逃さないように、夜遅くまで、布団かぶって、必死になって聴いたね。録音する機械もなかったし、レコードプレーヤーも持っていなかったからさ」 ギターは母方の実家に放置されていた従兄弟のおさがりを、偶然手に入れた。
中学の時は、ギターを朝まで弾いて、授業中に居眠りしてよく怒られたけど、今は『さすがですね〜』って誉められるからね(笑)
「それはガットギターだったんだけど、当時は、フォークギターとの区別もつかなかったから。フォークギターを持っている友達と同じようにスチール弦を張っていて。その間違いに気付くのに1年くらいかかったんだけど(笑)。ネック幅も広いからコードは押さえにくいし、指は痛いし。でも、朝までだって平気でギターを弾いていた。 鉛筆を持てば30分も経たないうちに指が痛くなる。教科書を見ているだけで眠くなる。同じ英語でも、ラジオ講座は5分も聞いていられないけど、ストーンズやジミヘンの曲なら、カタカナで書き取ってでも歌詞を覚えたいとか、ソラミミ英語で一緒に歌ちゃったりできた。 中学の時には、自分がどっちに向いているのか、肌で感じていたと思うんだよね」
高校2年の時、ツイストの前身となるバンド「FBI」を結成。大阪の大学に進学し、「ツイスト」として精力的にコンテストに出場するようになる。 「いい線までいくんだけど、優勝できない。なんでだ?と、壁にぶつかっていたある時、コンテストの審査員をしている人から『プロを目指すならボーカルを変えた方がいい』というアドバイスをもらった。それで、バンド内オーディションをやって、とりあえず俺が歌うことになった。ちょうど、そのころ作ったのが『あんたのバラード』。 最初はベースと兼任で歌っていたんだけど、新しいベーシストが入って、楽器を持たなくてなったら、手持ち無沙汰だったもんで、どうしていかわからなくて、マイクスタンドをつかんで、メチャクチャに動いて歌ってみたら、ライブですごくウケたんだよね、カッコいいって(笑)」 そして、「あんたのバラード」で第14回ポプコングランプリと第8回世界歌謡祭グランプリを獲得し、レコードデビューが約束された。 「実は、ボーカルやって1年くらいしか経っていなかったから、歌に関してはずっとコンプレックスに思っていた。 それに、バンドのメンバーも違うんだよね。当時、プロのロックミュージシャンになるって、相当高いハードルだった。デビューできる、上京してプロになれるってところまで来て、結局、一般企業に就職することを選択したメンバーもいた。それで、ほかのバンドから新たにメンバーを集めて、ポプコンで優勝した『ツイスト』と差別化するために、敢えて『世良公則&ツイスト』としてデビューしたんです。 デビュー曲がいきなりヒットして、“歌謡ロック”とか“ロックアイドル”とか、賛否両論あったけど、自分たちの言葉をロックのアレンジで歌う時代が来るって、ずっと思っていた。テレビで俺たちを見て、ロックを始める人が現われてほしい。ロックが普通に楽しまれるようになる。それが自然だと思っていましたね」
PROFILE 1955年、広島県生まれ。「世良公則&ツイスト」として1977年「あんたのバラード」でデビュー。ツイスト解散後はソロボーカリストとして活動を続けながら、俳優として映画やドラマでも活躍。最近では、国内外のアーティストとのセッションにも積極的に取り組んでおり、ロックバンド「GUILD9」としてアルバムをリリースするなど、活動の幅を広げている。2007年9月26日、ニューアルバム『JACARANDA』をリリース。
しかし、メジャーにおけるツイストの活動は3年半で終わる。1981年の解散時、世良は25才。ソロ・ボーカリストとしての第2章が始まった。 「30才くらいの時、武道館で宣言したんだよね。『あんたのバラード』なんか、ツイストのヒット曲なんか、絶対歌わないって、頑なに封印した。ツイストなんかより、今の俺を見ろ、ってね。がむしゃらに新曲を書いて、自分でかっこいいと思う世界をどんどん追求していった。 それが、38才の時だったかな。ライブツアー中のある時、プロデューサーに『見た目はかっこいいかもしれないけど、あなたの音楽には感動がない』って言われたんだよね。高校時代からずっと一緒にバンドをやってきた、キーボードの神本宗幸くんも、同じことを感じていたって。 ツイストを封印してからの俺は、ちっとも音楽的じゃなかったと、その時、気付いた、いや周りの仲間が気付かせてくれた。でなければ、38才から先の俺の人生グラフは、横ばいになっていたと思う」
笑い芸人
NPO法人ハロードリーム実行委員会代表理事/(株)Nal代表取締役
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