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2007年12月、『M‐1グランプリ2007』王者に輝き、お笑い界の頂点に立ったサンドウィッチマン。この業界は、弱肉強食、誰かを立てれば誰かが立たず、テレビ局に使い捨てにされることだって珍しくない。大波小波をかぶりながらも “マイペース”に笑いの渦を巻き起こしてきたふたりに、コンビの人生グラフを語ってもらった。

Photo:昭樹
3年だけ東京で勝負してみよう

 富澤は高校卒業後、いわゆるフリーターになる。

富澤 サラリーマンになるのは嫌だと思っていて、芸能に興味があったんだけど、どうしていいかわからなくて。とりあえず、アルバイトはしていたって感じですね。21歳の時に、吉本興業が仙台に事務所を作るのを知って、お笑いをやってみようと思った。素人を募集して毎週1回ライブをやる企画に、別の人とコンビを組んで参加していました。

 一方、伊達は、親のコネで就職していた。

伊達 富澤が仙台吉本でステージに立っている姿を見て「いいなぁ〜」と思っていましたね。

 今回の人生グラフは、彼らが24歳の時から始まる。コンビ結成だ。  

富澤 吉本興業の仙台事務所がなくなってしまって。できればこのまま仙台にいたかったけど東京に行くしかないと思いました。それで、伊達を誘った。  

伊達 僕はお笑いがやりたかったというか、20代のうちに、やりたいことを集中してやりたかったというのはありましたね。コンビ結成した時に、すでに23歳、24歳になっていましたからね。大学は行ってなってなかったんで、大学に行ったと思って、3年だけ好きなことをやらせてくれと、親を説得して。持っていた車も、当時の彼女もすべて捨てて、身体一つで、チャレンジしよう。3年でダメなら帰ろう。そう覚悟を決めて、2人で東京に来ました。  

富澤 人生の選択に「遅すぎる」ものはないと、今なら言えるけどね。当時は、出遅れてしまった、これがラストチャンスだという気持ちでしたね。東京に出て、お笑い芸人として身を立てる勝算があったわけではなく、3年やって、ダメだったら、それはもうダメだろう、諦めもつくだろうと思っていましたね。  

伊達 で、やってみたら3年で何とかなるやつなんていないんですよね。  

富澤 そうでしたね。  

伊達上京して、何か当てがあったわけでもなく。かろうじて、富澤の知り合いがいたホリプロのオーディションを受けたら、その難関に合格したんですよ。  

富澤 でも、その後は鳴かず飛ばずってヤツで。ライブにも出られなくなって。そうなると、何やっている人なのか、わからなくなってしまった。所属事務所と方針が合わなくて、「もう、嫌だ。何なんだ東京は」と、メチャクチャ凹んだ時期もありました。  

伊達 それで1ヶ月くらい、地元に逃げ帰ったこともあったんですよ。でも、地元に帰ったところで、やることもなくて・・・。よく、2人で釣りに行っていましたね。僕が釣り好きだったもので。釣り糸を垂れながら、「こんなことしていちゃダメだ。もう少しがんばろう」という気持ちになって東京に戻ったんですけどね。さっき、すべてを捨てて上京したと言ったけれど、地元には僕らをすごく応援してくれている親や友達がいたので、「結果も出さずに帰れない。何とかしなきゃ」と思いました」

『エンタの神様』が微笑んでくれた

  コンビ結成からしばらく、サンドウィッチマンの人生グラフは低迷した。

伊達 東京でライブしていても、仙台にいる親とか、友達には伝わらない。テレビでネタができれば、「あ〜、あいつら、今、お笑いやっているのね」と認識してもらえる。

富澤 だからテレビでネタをやりたかったんですけど、どうしたらテレビに出られるのか、その手段がわからなくて。3年のつもりが、ずるずるとですね・・・。ライブではうけるけど、テレビに出られない状態がずっと続いていて。

伊達 でも、ライブをすればうけるんですよ。お客さんに、うけている以上、辞められなかった。それで、「30歳までには・・・」と自分たちにもう一度プレッシャーをかけたんです。

富澤 地元で「30歳」といったら、みんな仕事に就いていて、家庭を持って、子供もいて、そんな当たり前の人生を送っているはず。30歳までに何も成し遂げられなかったら、何者でもないと、今度こそ諦めもつくだろうと。

伊達 僕たちには時間がなかった。それで、所属事務所を変えました。その後に、人生グラフがちょっとだけ上がっているんですけど、これは哀川翔さん主演の映画Vシネマ『修羅がゆく12』に出させてもらったんですね。僕は昔から、Vシネマのヤクザ映画が好きで、出てみたいと思っていた。

富澤 本当にチョイ役。エキストラみたいなものだったけどね(笑)

伊達 でもね、そこで初めて、形になる仕事ができたというのは大きかったですよ。DVDは僕らの地元のレンタルショップにも置いてあったし。それからだよね、少しずつ上向いてきたのは。

富澤その頃、すでに29歳になっていたし、「もう無理かもしれない」と思うこともあったけど、たぶん、このまま辞めても悔いが残るから、あと1年、あと1年だけがんばってみようと思って。ライブに何度も足を運んでくれたファンも付いたけど、いつも同じお客さんを相手にして、ネタがうけても、それだけじゃ広がらないから、1ヶ月に15本くらい、いろんなライブに出た。そうしたら、『エンタの神様』(日本テレビ系)の関係者の目にとまり、出演することができたんです。今までの活動の中で、一番のターニングポイントはココかもしれないですね。

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『ちょっと何書いてんのかわかんないです……!!』
富澤たけし(サンドウィッチマン)

発売日:2008年12月1日
定価:1,260円(税込)
発行:講談社




サンドウィッチマンのコンビ結成時からネタ作りを担当する富澤たけしのブログ『狼は生きろ 豚は死ね』を元に書籍化。テレビで見せる顔とは違う、頭の中を覗き見するような初エッセイ。

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