 コンビ結成からしばらく、サンドウィッチマンの人生グラフは低迷した。
伊達 東京でライブしていても、仙台にいる親とか、友達には伝わらない。テレビでネタができれば、「あ~、あいつら、今、お笑いやっているのね」と認識してもらえる。
富澤 だからテレビでネタをやりたかったんですけど、どうしたらテレビに出られるのか、その手段がわからなくて。3年のつもりが、ずるずるとですね・・・。ライブではうけるけど、テレビに出られない状態がずっと続いていて。
伊達 でも、ライブをすればうけるんですよ。お客さんに、うけている以上、辞められなかった。それで、「30歳までには・・・」と自分たちにもう一度プレッシャーをかけたんです。
富澤 地元で「30歳」といったら、みんな仕事に就いていて、家庭を持って、子供もいて、そんな当たり前の人生を送っているはず。30歳までに何も成し遂げられなかったら、何者でもないと、今度こそ諦めもつくだろうと。
伊達 僕たちには時間がなかった。それで、所属事務所を変えました。その後に、人生グラフがちょっとだけ上がっているんですけど、これは哀川翔さん主演の映画Vシネマ『修羅がゆく12』に出させてもらったんですね。僕は昔から、Vシネマのヤクザ映画が好きで、出てみたいと思っていた。
富澤 本当にチョイ役。エキストラみたいなものだったけどね(笑)
伊達 でもね、そこで初めて、形になる仕事ができたというのは大きかったですよ。DVDは僕らの地元のレンタルショップにも置いてあったし。それからだよね、少しずつ上向いてきたのは。
富澤その頃、すでに29歳になっていたし、「もう無理かもしれない」と思うこともあったけど、たぶん、このまま辞めても悔いが残るから、あと1年、あと1年だけがんばってみようと思って。ライブに何度も足を運んでくれたファンも付いたけど、いつも同じお客さんを相手にして、ネタがうけても、それだけじゃ広がらないから、1ヶ月に15本くらい、いろんなライブに出た。そうしたら、『エンタの神様』(日本テレビ系)の関係者の目にとまり、出演することができたんです。今までの活動の中で、一番のターニングポイントはココかもしれないですね。
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