美輪明宏に「美をつむぎ出す手を持つ人」と評される華道家・假屋崎省吾。タレントの神田うのの披露宴で花の総合プロデュースをしたかと思えば、OLや主婦たちを相手に東京・赤坂の花教室で直接指導。それから、深夜までテレビのレギュラー番組の収録。作品集やエッセイも相次いで出版し、10月27日からは東京・目黒雅叙園で個展を開く。伝統的な“いけばな”の世界を飛び出し、「花から始まるライフスタイル。花はこころのビタミン」と、種をまき続けている。 (Photo:昭樹)
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それは独立して間もなくのことだった。子供の頃から、假屋崎さんの一番の理解者で、サポーターだった母が亡くなった。
「昼間は仕事が立て込んで、気が紛れたんだけど、夜、ひとりでいるとこの世は終りだと思うくらい打ちひしがれて…。そんな心理状態でいたある日、渋谷の街を歩いていたら、人だかりに出くわして、何かと思ったら『ジ・ァン ジ・ァン』というライブハウスで美輪明宏さんのコンサートがあった。それで、救われたんです。
亡くなった母が、美輪さんのことが大好きで、一緒に舞台を見に行ったこともあった。でも、その頃、私はまだ子供で、なんか見てはいけない世界という印象だった。あまりにも妖艶で、陶酔した世界にのめり込んだら危ないって思っていた(笑)。
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 花教室でしょ、テレビの収録でしょ、地方講演もあるし、個展もあるし。毎日、朝から晩まで働いているのよ(笑)。そのかわり、1年間に4回、1週間程度の海外旅行をします。その時はどんな仕事の依頼もお断り。行き先はヨーロッパが多いかな |
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まるで母に導かれるように、美輪さんのコンサートを見に行くようになって、それだけじゃなくて、著書や音楽をむさぼりつくように読んだり聴いたりして。で、毎月2回、2日連続で渋谷でコンサートがあって、公演後は必ずサイン会をしてくれてたんです。で、毎回毎回サインをもらいに行きました。そうしたら、顔を覚えて下さって、一言二言しゃべるようになって、現在に至るって感じなんです。美輪さんに出会って、未来が開けた気がしますね」
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広く一般に華道家・假屋崎省吾の名が知られるきっかけになったのは、1996年春、クリントン米大統領(当時)が来日した時のレセプション会場の装飾を手がけてからだろう。その後、華道家としての存在感を増していくと同時に、タレント活動も活発になる。
「『中居正広の金曜日のスマたちへ』のレギュラー出演もターニングポイントの一つだったかもしれない。テレビの前の皆さんには、毎週、見たくもない私の顔が映し出されて、申し訳ないですけど(笑)。
テレビに出るのも、花教室で生徒さんに教えるのも、展覧会を開くのも、先日の神田うのさんの披露宴で花をプロデュースしたのも、私からお伝えしたいメッセージは全て同じなんです。花のすばらしさ、美しいもののパワーがいかに大切かということを伝えていくのがライフワーク。
花といって、ひっそりと野に咲く花から、日本の伝統文化の生け花、西洋のフラワーアレンジメント、ドライフラワーに、押し花もある。視野を広げれば、建築物にだって、文学にだって、音楽にも、ファッションにも、食文化にも、モチーフとしての花があふれています。人間には、美しいもの、楽しい気分にさせるものが必要なんだと思いますね。
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私の信条として、『花から始まるライフスタイル、花は心のビタミン』と申し上げているのは、つまり花を切り口にどんなことでもできるということ。花にまつわる興味のすべてを、とことん伝えていきたい」
2003年に糖尿病と診断された時も、糖尿病に関する書物や資料を片っ端から読んで、とことん“闘病”すると決めた。血糖を下げるレシピを自ら作り、キッチンにも立った。健康状態は改善され、今も維持している。
2年前に、現在の17才年下の恋人と出会い、假屋崎さんの人生グラフはさらに急上昇。
「好きなことをやってきただけだし、これからもそうするつもり。やるからには、とことんね。嫌なことを我慢してやっている暇はないわ」
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