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美輪明宏に「美をつむぎ出す手を持つ人」と評される華道家・假屋崎省吾。タレントの神田うのの披露宴で花の総合プロデュースをしたかと思えば、OLや主婦たちを相手に東京・赤坂の花教室で直接指導。それから、深夜までテレビのレギュラー番組の収録。作品集やエッセイも相次いで出版し、10月27日からは東京・目黒雅叙園で個展を開く。伝統的な“いけばな”の世界を飛び出し、「花から始まるライフスタイル。花はこころのビタミン」と、種をまき続けている。 (Photo:昭樹)
生け花が引っ込み思案な自分を変えた

花の種をまいたら、双葉が出て、本葉が出て、枝葉が広がってきて、気付いたら大木になっていた感じ。枝葉を広げることで、いろいろな人と関わりを持って、広がりがでてきた。

 「24才の時、たまたまテレビで生け花を紹介する番組を見て、な〜んかとても素敵だなぁ〜って思いました。自分は小さい時から花を育ててきたけど、育てた花を何倍にも美しく見せることができるんだって、初めて気付いたというか。生け花を習ってみたいと思いました。その時は、将来の職業にしようとか、そういう考えは全くなかったわけ。ただ、花への興味が一段と強まったというか、生け花を習い始めたら、とてもとても面白くって、楽しくなったのね。

  いままで、花といえば、花壇や植木鉢、自然の中に咲いているもの、あるいは花瓶に挿した切り花くらいしか思い付かなかった。でも、生け花を習いはじめたら、花の世界が広がった。展覧会のために作品を作ってみたり、画廊やカフェなど空間を飾る花が目についたりするようになって、花というか、植物って、すごく可能性があるんだなって。

 それまで、引っ込み思案で、他人とコミュニケーションを取るのが苦手で、自分をどうやって表現したらいいのかわからなかった。好きなものはいっぱいあったけど、それは自分がただ好きなだけで、家族以外と共有することはなかった。それが、生け花を通じて、いろいろな人と話しができるようになって、自分をアピールできるようになっていった。そうしたら、どんどんのめり込んでしまってね」

 生け花との出会いで人生グラフは右肩あがりに“成長”していく。“花”の可能性でもあり、それは自分自身の可能性に気付いたからだ。假屋崎さんは水を得た魚のように “花”世界にのめり込んでいった。

元祖フリーター!?就職後、3ヶ月で会社を辞めた

假屋崎省吾
1958年生まれ、東京都出身。華道家。
假屋崎省吾花教室主宰。 クリントン元米大統領来日時や、天皇陛下御在位10年記念式典など、大きなイベントの花のプロデュースを務め、内外から注目される。石井竜也の全国コンサートツアー『ART NUDE』にてアートと花のコラボレーションや野村萬斎出演の『能・狂言』の舞台美術、愛知万博『胡蝶〜能とバレエの宴〜』、『コンサート in 国会2006』にてスーパーワールドオーケストラとのコラボレーションなど、ジャンルを超えた美の世界で、独自のアイデンティティーを発揮。現在、TBS『中居正広の金曜日のスマたちへ』、日本テレビ『おネエ★MANS!』にレギュラー出演するほか、作品集などの出版物も多数。03年に糖尿病と診断されるが、食事療法で改善。東京・赤坂見附駅直結のベルビー赤坂8階にある花教室(TEL03-3582-8787)では随時入会を受付。

 このまま“花”の道一直線かと思ったら、そうではなかった。大学を卒業する少し前に父が亡くなり、自立するため假屋崎さんはアパレルメーカーに就職する道を選ぶ。当時は、80年代のDCブランドブーム。

 「でも、就職して3ヶ月で辞めちゃった。生け花のお稽古は続けたかったんだけど、仕事と両立させるのが難しいってことがわかって。仕事か花か。で、花を選びました。それからしばらく、フリーターですよ(笑)。飲食店などでアルバイトしながら、お稽古を続けました。そうやって続けていたら、家元のアシスタントに抜擢されたり、賞をいただいたり、個展を開いたりするようになっていきました」

  1987年に初めて個展を開いた。個展はもちろん、持ち出し。経済的なサポートをしてくれたのは、母だった。そして、個展を開いたことによって、假屋崎さんの作品は“現代いけばな”か“現代美術”か、とマスコミに取り上げられるようになる。そして、大車輪が回り始めた。

 「無理しても個展をやったことによって、いろいろな方面から反応がありました。デパートの売り場に花を生けてくださいとか、この空間を自由に使ってくださいとか、店舗のディスプレーなどの仕事が増えて。自費で個展をやっていたものが、企画展に招待されるようになって、おまけにギャラまでいただけるようになって。“花”を軸に、雪だるま式にどんどん広がっていったんです」

 1991年、32才で独立。そんな順調の矢先のことだった、それまでの人生最大の“闇”が訪れた。

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