【働きビト】Vol.14 嬉野雅道、『水曜どう』に出会って感じた仕事のおもしろさ

 レギュラー放送が終了して10数年が経つ今なお、ファンを拡大し続ける北海道発のローカル番組『水曜どうでしょう』。そんな人気番組を、ディレクター兼カメラマンとして支えているのが、“うれしー”の愛称でお馴染みのこの男、嬉野雅道である。一介のサラリーマンでありながら、メディアでも活躍する彼が、このほど単独では初となる著書『ひらあやまり』を発売する。御年56歳、『どうでしょう』との出会いは、一介のサラリーマン人生にどんな影響を与えたのか? 番組成功の裏側にも迫った。

当初『どうでしょう』は半年で終わる予定だった!?

――この本には、2013年の『水曜どうでしょう』アフリカロケの話が出てきますよね。ロケ中に一瞬良くないムードになりかけたことを、大泉さんがロケ後も気にして、そのことについてメールでやりとりしたことも掲載されています。お2人の優しさや切ない感じが伝わってきました。
嬉野『どうでしょう』を離れたって、いまや大泉さんも大物ですが、僕らの中で最年少は最年少ですからね(笑)。人の関係性って出会った時のまんまだから、僕らには大泉くんがいまだに大学生に思えてしまう、あの人もいい迷惑でしょう。だから振り返ると僕ら4人は『どうでしょう』というテーブルについて今日まで表面上はニコニコ笑いあっていても、テーブルの下では蹴り合うことも時にはあったかもしれない(笑)。でも蹴られても笑って蹴り返すその息がピッタリなのも芸のうちでね。僕らはこのテーブルからすべてが始まったから、これを失うわけにはいかないという自覚が4人ともいまだにあるんですね。もちろん仲は良いんですよ(笑)。

――『どうでしょう』の関係性は、それぞれがどういう道に進んでも存続し続けるものなんですね。
嬉野たまたま集まった4人なのに、それぞれがあの番組の中で自分の場所を見つけていますからね、あれだけのピッタリ感は誰かに指示されて出来るものじゃないと思う。だったらこの奇跡的な棲み分けはもう人知を超えていますからね(笑)。この先も大事にしないとね、という自覚もまた全員にあるでしょう。

――4人でなければいけないという中で、それぞれの役割はどんな感じだったんですか?
嬉野僕も藤村くんも常に番組に対して気持ちは100なんですけど、自分で気づかないずさんさがあるみたいでね、現場で「やべ!」ってことが出てくる。そこをね「どうすんのよ?」って大泉洋が的確に突いてくるんです(笑)。そう言われて、我々もカメラの前で「あ、そうだったな」って気づかされるから、それが単なるスタッフの不手際で終わらず、ずさんな計画のままタレントを危険な場所へ連れてきた男2人と、連れてこられた男2人という物語になっていくんですよね。
――そうなることを自覚していたんですかね。
嬉野いやいや、考えてやっているわけではないです。おそらくね、4人それぞれの持つ元来の性質が奇跡的にカチッとはまった。だから、あの番組はおもしろいことになったんじゃないかと思うんです。でもね、会社的には『どうでしょう』なんて、前身番組が終わることが決まった時に、次の新番組ができるまでのつなぎ的な感じで始まったんだと思いますよ(笑)。おそらく半年で終わる予定だったと思うな。でも、始めたら妙に人気が出ちゃって、それで続行ってことになったんですよ。で20年(笑)。

――『どうでしょう』って、ほかの人にはマネができないような気がします。カチっと組み合う人がいるから成り立ったんだなっていう。
嬉野その通りです。今度DVD第23弾で「対決列島」っていう甘いもの好きのディレクターと苦手なタレントが早食い対決をする企画が出るんですけど、北海道から鹿児島まで甘いものを食べて早食い対決をしていこうという内容だけで番組を作ろうするディレクターもいないでしょうし、(タレント側が)負けたらアラスカの森へ連れて行かれるというルールも、そんな一方的な条件をバカみたいに飲んでくれる事務所もあんまりないだろうし(笑)。しかも、大泉洋の役割は決められてもおらず(笑)、今となってはあの対決に大泉洋の実況がなかったらあんなに盛り上がらなかったろうと思えばね、みんなが勝手に自分の持ち場を見つけて作品を完成させていける人でないとあの番組は成り立ちませんでしたよね(笑)。

 (レギュラー当時を)振り返ってみるとね、4人が4人ともあの番組に対して必死だったのは間違いないことです。それを思うと“嘘をつかない”ことと“必死”っていうことは、(成功するために)必要最低限の要素かなって思います。僕らは本当に楽しい時にしか笑ってないし。あと、最後まで一番いい答えを出そうと必死になるということだけは、各々やっていたと思います。最近ね、1997年に放送した、僕らが初めてヨーロッパへ行った時のシリーズを見返したんですけど、見ながらね「あぁ、この人たち楽しそうだな」って思えたんですよね(笑)。ファンの方がね、よく『どうでしょう』を自分の思い出のように語ってくれる方がいますけど、あの時分かった気がしました。人って自分の経験でなくても、その人たちに共感できたら知らないうちに受け入れているんですね。人の気持ちの中に入り込めたら、その瞬間から他人事ではなくなるっていうのがあるんだと、あの時思いました。

人生楽しいじゃないって思えた瞬間に、本当に大人になれた

――本の冒頭では、嬉野さんが会社内の会議室で勝手にカフェを始めたところから始まりますよね。非常に楽しそうで、自分がその職場にいたら行ってみたいと思いました。
嬉野なんでしょうね。ある時不意に思ったんです。自分が会社の中で勝手にカフェ始めたらどうなんだろうって(笑)。元々僕がコーヒー好きだったということもあるけど、就業時間中に会議室に勝手に「カフェ始めました」って張り紙をして、勝手に呑気なことをしている人が社内にいたら、何かしら会社の気分が変わらないものかしらって(笑)。自分の中で何か思うところがあったんでしょうね、この頃社会が不寛容に厳しいものになってないかな、とかって。私のようなおっさんは昔の社会も知ってますけど、比べてみると昔の方がゆったりしていて。だったら怒られるまで勝手にゆったりしてみっかと(笑)。

――そういう風通しの良さのために抗う精神って、元々持っていたんですか?
嬉野人って、自分が持ってる元来の性質ってありますよね。でも成長していくうちに封印しようとしますでしょ。その方が得だったりするから。だって元来の性質をまる出しにしたくても、実力が伴わないと痛い目にあうってことをね、大人になるにつれ知ることになる。でもね、『どうでしょう』をやっていくうちに、自分たちの感覚まる出しでやってもそれを他人に広く受け入れられるんだってことを知りました。「これってつまり、俺は俺のまんまでいていいってこと?」そんなこともあるんだってことが分かった瞬間に、元来の性質のままで生きることの楽しさを知ったということはありますよね。そしたら、それはもう捨てられない。
――ということは、元来の自分でいるためにも、貪欲に、必死になって結果を出す必要がありそうですね。
嬉野社会ってね、意外に理屈が通らないところがあったりするんです。理不尽だったりする。でも、そこを疑問に思って異議を唱えても「そんなに気にくわないんだったら、ほかでやれば?」とかって言われてね。その時、社会の中で、ひとりで生きていく自信がなければ、自分が無力であることに気づくもんですよ。でも、だからといって、理屈に合わなくても決まりに乗っかる方が楽だって位置を選んだら、人は自分の頭で考えなくなりますよね。それだけは絶対したくない、というか、それだけはやれないなっていうのが僕の中にあって、大した自信はないけど、「でも、そこは負けない」っていう。だから自分の頭で考えて「やった方が良いかもな、と思ったことは実際にやってみる」っていうね。僕も僕なりに社会で生きて、わりにひどい目にあっていますけど、まあ、ですからこの本はね、そんな、ひどい目にあっているおっさんだからこそ書ける(笑)、ま、読んで損のない本でしょう(笑)。

 『どうでしょう』をやっていく中で「大人になっても自由に出したい自分を出していいんだ、ああ人生って楽しく生きられるじゃないか」って思えた瞬間にね、僕は本当の意味で大人になれたのかもしれない。自分をまる出ししていると嫌われることもありますよ、でも、だからこその出会いもある。こういう風に「本を出しましょう」と言ってもらうことにもなり、その先にまた別の出会いがある。そうやって受け入れてくれる人に巡り合えることに、僕はホッとするんです。

“俺は自分で考えることをやめない”本に綴った決意

――本の中で、嬉野さんが東京から北海道に住むことになったのは、奥さんが移住を決意したからとあり、その点について奥さんのお父さんに「オレは自分でハンドルも握れないようなそんな人生はごめんだな」と言われてしまったエピソードが書いてありましたね。
嬉野社会人としてね(笑)行先も自分で決められないというヤツは、ダメだと思われるでしょうね。男は自分の人生は自分で決めるということが、価値観として殿堂入りしているともいえます。その価値観に賛成しておけば、世間からとがめられることもないけれど、「私は違う価値観です」と言い切ることは、自分の気質を自分で受け入れ世間にさらすことです。でも、そうやって自分をちゃんと表明していれば、それに共鳴する人も出てくると思うんですよね。だったらその方が得ですよ。

――本のタイトルの『ひらあやまり』ということは、どう意識して書かれましたか?
嬉野これはもう編集の小林くんが企画段階で考えてくれていたタイトルです(笑)。すっかり気に入っちゃって、これでこの本の入口は見つかったから、自分がサラリーマンとして、現状、とても変な存在の仕方をしているということがあったので(笑)、そこを掘り下げたいと思いまして。で、書いてたらね、どういうことか“幸せ”について書き始めていたっていうことがあって、それがひとつの軸になった気がします。

――本を書き終わって、思ったことはなんでしょう。
嬉野結局ね、僕は、自分で自分の文章が好きなんだなと思いました(笑)。きっと僕にとって文章を書くというのは「伝えたい」の前に何かある気がしました。上手く言えませんけど。でも、だから書いた本人がおもしろいと思ってるから、これはみなさんにもおもしろく読んでいただけるんじゃないかとも思ってます(笑)。もしも、これを読んだ誰かが良かったと思ってくださるのであれば、それは共感だし、嬉しいことだと思います。

――どんな人に読んでもらいたいですか?
嬉野半世紀以上生きたおっさんの書いた本が響くのは誰だろうと思っているくらいで、僕にもわからないですけど、きっとこの本を読んで、生きているのもいいかもしれないと思う人がたくさんいると思うの。どこにいるのか知らないけど(笑)。でも、とりあえず、ひどい目にあっている人が読んでくれたら、それもいいと思います(笑)。ひどい目にあってもね、へこたれずに、おもしろそうに焚き火して芋を焼いているから、みんなもこっちくれば良いのに、という、なんかそんな感じの本です(笑)。

――カフェをやっているのも「こっちにおいで」ということですよね。つながった気がします。
【プロフィール】
嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年7月7日生まれ、佐賀県出身。前職を経て1995年に北海道テレビ放送(HTB)の制作部に。翌1996年より同局の藤村忠寿とコンビを組み、ディレクター兼カメラマンとして『水曜どうでしょう』に参加。現在は、コンテンツ事業室に所属する。これまでに発表した書籍は、藤村Dとの連名による『人生に悩む人よ 藤やん・うれしーの 続々・悩むだけ損!』(アスキー・メディアワークス)、『腹を割って話した』(イースト・プレス)など。
『ひらあやまり』(KADOKAWA)
著者:嬉野雅道(『水曜どうでしょう』カメラ担当ディレクター)
発売日:7月17日(金)
価格:税別1200円
グラビア8ページを含む全264ページ

 “うれしー”の愛称でお馴染みの、北海道発ローカル番組『水曜どうでしょう』のディレクター兼カメラマン・嬉野雅道による初の単独著書。『どうでしょう』最新作アフリカロケの裏話や大泉洋とのエピソードをはじめ、一介のサラリーマンが人生を振り返って感じた幸せのヒントが満載。
オリコン日本顧客満足度ランキングの調査方法について

当サイトで公開されている情報(文字、写真、イラスト、画像データ等)及びこれらの配置・編集および構造などについての著作権は株式会社oricon MEに帰属しております。これらの情報を権利者の許可なく無断転載・複製などの二次利用を行うことは固く禁じております。