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コンビ結成10周年のロザン。国公立大学に通った“高学歴”が売りのお笑いコンビで、とくに京都大学法学部卒の宇治原史規は、いまやテレビのクイズ番組等に引っ張りダコ。大阪を拠点に、全国区の人気を得たロザンの2人だが、そのすべては計算ずくだった!?その“真相”を、相方・菅広文が自伝的小説『京大芸人』(講談社)で明らかにした。コネもカネも七光りもない、いわゆる普通の家庭の子が、いかにして芸能界で名を上げたのか。32才の人生グラフを描いてもらった。

菅は0を1にするのが得芸人になる方法、全然知りませんでした――宇治原

 菅は浪人生として迎えた19才の夏に、ある人物と出会う。その人は、現在、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの取締役で、当時若手芸人の養成所「NSC(吉本総合芸能学院)」の立ち上げに携わった竹中功氏だった。菅が通っていた予備校が開いた講演会に招かれ、吉本の若手のギャラや社員の給料が安いことなど、裏話も満載に面白おかしい話で、受験生を励ました。

 菅  講演会が終わってすぐ、僕は竹中さんのもとへ行き、話しかけたんです。「僕、大学受かったら吉本に行こうと思ってます」と。すると、竹中さんは「受かったら電話しといで!」と名刺をくれたんです。受験した大学に全部落ちて、浪人生になっていなかったら、竹中さんの講演会を聞くこともなかったし、さらに僕が話しかけに行かなかったら、竹中さんのことさえ、半年後には忘れちゃっていたかもしれない。でも、名刺をもらって、本当に大学に受かったら、電話しようと思ったし、竹中さんも覚えていてくれたんです。

宇治原 俺たち芸人になるって言っても、芸人になる方法、全然知りませんでしたからね。吉本につてができたのは、すごいと思いました。

 菅  結局、チャンスというのは、いっぱい転がっていて、自分から話しかけるとか、何かアクションを起こすことが大事なのかなって思いますね。後から思い出して、あの時は運が良かったと思えることは、その時、「芸人になれへん?」と聞いたり、話しかけていたりした結果なんですよね。

宇治原 ほんまやな。

 1浪して、無事、菅も大学生となり、いよいよ2人そろっての「芸人になるため戦い」が始まった。

 「大学に受かったら連絡する」と“約束”していた竹中氏にさっそく、連絡をしようとした2人だが、そこでふと気づく。

 「とりあえずネタ作ってからじゃないと竹中さんに会っても意味ないんちゃう?」  「そうやな、いきなりネタ見せろって言われるかもやからなあ」

 なんと、この2人、芸人になると決めておきながら、この時まで、肝心のネタをいうものを作ったことがなかったし、コンビ名も考えていなかったというのだ。頭がいいんだか、悪いんだか。真面目なんだか、不真面目なんだか。そのギャップが2人の“笑い”の面白さなのかもしれない。


 菅  そうなんですよね、本当に受験勉強しかしていなくって。ネタを書き溜めたりしていませんでした。それから、2人でネタ合わせをするために、部屋を借りたりして、ある程度まとまったネタができたと思ったら8月になっていましたね。ネタの作り方が書いてある本なんかないし、初めはメチャクチャでしたよ。ボケもツッコミもなかった(笑)。宇治原が作ってきたネタには、なぜか、ほんこん(130R)さんと3人でやるネタがあったりして。

宇治原 えっ〜。覚えていない。そんなの作った?

 菅  覚えてないの?

僕ももうちょっとクイズ番組に出られると思っていた――菅

 竹中氏からもらった名刺の電話番号に電話をかけ、2人は竹中氏に会いに行った。「ほんまに来たんかいな?」と竹中氏も菅のことを覚えていた。竹中氏はNSCに入ることを勧めたが、宇治原が「高校卒業して1年たってるので、それからまた1年NSCへ行くのは時間の無駄だと思う」とバッサリ断ると、2丁目劇場で毎週日曜日にオーディションを行っていることを教えてくれた。

 それから、2人は、毎週日曜日のオーディションを受けるために、前日の土曜日の晩から劇場に徹夜で並ぶようになった。オーディションを受けるためには、自腹で1枚500円のチケットを4枚買って、お客さんに売らなければならいのだが、そのチケットを買うために並ぶのだ。それほど、オーディションを受けにくる若者がたくさんいるのだった。そして、簡単に受かるほど、甘くはなかった。毎回、毎回、容赦なく不合格音が鳴った。気づけば、宇治原は3回生になっていた。


 菅  初めのころ、宇治原メッチャクチャ、ネタ飛ばしていたんですよ。現役で京大に入れるほど、歴史も英語の例文も暗記ができたのに、ネタは全然覚えられなかったんですよ。なんで覚えへんって怒っていたんですけど、今から考えたら、僕の作るネタがメチャメチャ下手やったんだと思います。僕は自分が作ったネタだったから、つじつまがあってなくても覚えられるんですけど。

宇治原 それは、覚えています。ほとんどすべてのネタで飛ばしています(笑)。毎回どこかは飛ばしていました。まずは、緊張していたからだと思うんですけど。たしかに、今、菅が書いているネタは、昔のネタより覚えやすい(笑)。

 菅  今、考えたら、当時の僕たち、ちょっとおかしかったと、思いますね。僕よりも宇治原のほうがエライところに飛び込んだと思いますよ。宇治原の親も最初は反対していたし。

宇治原 就職する気があったら、もともとやっていないですよ。

 菅  芸人になるってことしか考えてなかったんで、オーディションに受かるのが目的じゃなかったら、落ちてばっかりいてもメゲなかったし。芸人になれなかったら就職しようという思いがどこかにあったら、今、芸人にはなっていなかった、なれなかったかもしれないですね。

 もともと頭のいい2人だ。ただ、漠然とネタを作り、オーディションを受けて落ちて、を繰り返していたわけではなかった。2人は、受かったコンビと自分たちのネタを比較し、何が違うのか分析するなど、ネタ作りの“勉強”にも精を出した。その努力が報われる時は、来た。

 菅  宇治原が就職活動のために親に買ってもらったスーツを着て、お受験面接のネタをやったら、それが受けて、オーディションで初めて合格音が鳴った。それまで聞かれることもなかったので、誰にも言っていなかったんですが、書類に、僕が大阪府立大で、宇治原が京大の現役大学生だということ書いたら、吉本の社員の顔つきが変わりましたね。

 翌日には、関西のスポーツ新聞全社から取材を受け、テレビのニュースでも紹介された。菅の読み通り、「京大」は売りになったのだ。

 菅   ちょっと売れてきた感じはあるけれど、僕たち、本当にこれからだと思うし。宇治原がクイズ番組に出たり、僕は今回、本を書いたりしましたけど、それはあくまでもサブの仕事なんですよね。メインは、やっぱりネタを作って、お客さんの前で披露して、笑ってもらうのが仕事で、その点だけはブレないようにしたいですね。

宇治原 菅に、そういう風に言ってもらえると、今後もやりやすいですね。何をしたらいいか、とにかく受身ですから(笑)。

 菅  僕ももうちょっとクイズ番組とかに出られると思っていたんだけど。その読みだけは、外れたな〜。

宇治原 (大爆笑)

高性能勉強ロボ・ウジハラの京大合格大作戦!芸人として成功する近道は、相方になる予定の宇治原を京都大学に入れること!高学歴コンビ・ロザンの菅が、芸人になるまでを描いた自伝的小説。京大に合格した人の勉強法も伝授。受験生は必読!

『京大芸人』
著者:菅 広文(ロザン)
定価:1470円(税込)
発売日:2008年10月30日
出版社:講談社
ISBN 978-4-06-215018-7

公式サイト>>
http://moura.jp/

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